その他のこと

「本文」に書ききれないからだと指圧のことを、書いていきたいと思います。

指圧後にでる痛み(1)

まずこちらをお読み下さい。
「本文:7.痛みのこと、8指圧後のだるさや痛みについて」

指圧後にでる痛み(2)

私の師匠が施術者向けに講義した講義録の抜粋を、以下に載せました。実際の臨床で起きた話ですので、痛みを理解していただくための一助になると思います。

〈講義録抜粋〉
胃下垂の場合には、内臓が上がってくるときに苦痛を伴います。
浪越先生が以前治療していた患者さんは、ご主人が内科の医者で、指圧を受けた後には胃のレントゲンを撮って、胃の状態を確かめていた。それがあるときを境にぱったりと来なくなった。一年以上経ってからひょっこりみえて、「どうしました。」って聞いたら、「おかげさまですっかり良くなりました。レントゲンで調べてもらったら、もう正常なところまで上がってきたからやめたのです。」
けれど本当は、そうなるまでに相当な痛みがあって、治療をお休みしていたのでしょう。そうとは浪越先生に言えなかったんだね。「これ以上続けて、上がりすぎると困るから。」って冗談を言っていましたけれど、そんなことはないんだよね。

このへんが生理学の『恒常性の維持』という働きで、人間の身体は正常なところに収まります。指圧続けていたら食道が口から出てきちゃった、なんていったらえらいことになるからね。そんな馬鹿なことはない。大丈夫です。ただそういう風に苦痛を伴ってくる。
頭の形がいびつなのがだんだん治ってくる場合にも、かなりの頭痛を伴ってきます。頭の関節、あれだけのものが動くんだから、かなりすごい変化が起きている。そういう変化の影響は頭痛として現れる。でもこの頭痛は痛み止めでは治まらないはずです。治めちゃいけない頭痛だから。変化してこそ治る。
慢性的な疾患が治るときにも、同じように痛みを伴うことが多い、ということを覚えておいてください。患者さんにひと言話しておくと安心する。

「指圧受けたら頭痛くてー。」何も知らないと不安になる。でも話を聞いていれば「効いてきたんだな。」って理解してもらえる。だからうちの治療院では変な会話をしています。「先生、指圧受けたら腰が痛くなってきました。」「良かったねー。」「指圧受けた帰り道痛くて痛くて、休み休み帰りました。」「良かったねー。」
本来は苦痛を感じるはずが麻痺して感じなかった場合は、指圧を受けているとつらさを感じられるようになります。そういうこともある、ということね。

自分の弱みを知る

指圧を重ね、コリが減っていくことで、からだは回復していきます。そして好調になるにつれて、弱い部分が浮き彫りになってきます。それは生まれつきかもしれませんし、昔の病気やケガの名残かもしれません。

あちらもこちらも具合が悪いときは、健康のために何をしたら良いか見えてきません。しかし弱いところが絞られれば、そこをバロメーターとして健康管理しやすくなります。

定期的な指圧でコリを減らして、バロメーターを見つけましょう。当院では、特に疲れているところや、前回と今回のからだの違いなども細やかにお伝えすることができますので、こちらも健康管理にお役立て下さい。

毎日の食事が細胞を活性化させる

食事は毎日細胞の中に取り込まれており、からだは日々変わっています。

生物と無生物のあいだ
福岡伸一 講談社現代新書 2007年初版 740

著者は分子生物学専攻の青山学院大学教授です。この本の「第9章:動的平衡とは何か」に以下の記述があります。
重窒素でマーキングしたアミノ酸を、3日間ネズミに食べさせます。すると重窒素の半分以上が排泄されないで、体内のあらゆる部位のタンパク質組織に入り込んでいました。しかしネズミの総体重は実験前と同じ。つまり毎日の食事によって、体内のアミノ酸がものすごいスピードで入れ替わっているのです。ちなみにタンパク質の構成成分がアミノ酸です。

細胞の新陳代謝はこれほど早いのかと驚きます。福岡先生は、「人のからだは半年か一年で、原子分子レベルですっかり違うものになっている」という意味のことを述べています。このことを知ると、毎日の食事がいかに大切かということが分かります。
「本文:細胞の治癒(ホメオスタシスの話1)」参照

前頚部と腹部

浪越指圧の特徴として、「前頚部」と「腹部」の治療が挙げられます。浪越指圧の創始者の浪越徳治郎先生が非常に重要視された部位です。全身の指圧をすることが浪越の大前提なのですが、なかでも「前頚部」と「腹部」を省いて圧したのでは浪越指圧の本当の効果は出ない治療部位です。

「前頚部」はその名の通り頚の前方の部位で、基本的に左右4点ずつ圧します。ここは頚動脈や自律神経などが走行するところで、鍼などでは、危険なので施術してはいけない部位(禁忌)となっています。この部位に触れる施術者は、浪越指圧以外にはいないのではないかと思います。上手に圧せば効果大だけれども、施術の仕方によっては危険もあるのが「前頚部」です。

「前頚部」にあるコリを圧すと、からだの他の部分に刺激を感じます。「前頚部」はからだ中の様々な負担を受ける場所です。「前頚部」のコリを取ることが全身の治療になります。

「腹部」は全身指圧の仕上げとして一番最後に施術することが多く、張り具合、内臓の硬さ、みぞおちの形などを確かめながら圧していきます。「前頚部」と同じように、治療効果を考えれば省くことのできないところです。

「前頚部」「腹部」ともに、圧されると気持ちのいいところです。他にはない特別な感覚があります。もしもこの部位を圧さなければ、非常にがっかりで効果の半減した指圧になってしまいます。

施術者のからだも整う指圧

師匠の故鈴木先生に20年師事しました。日本指圧専門学校在学中から、卒業して国家資格(あんまマッサージ指圧師)を取得した後もずっと指導していただきました。

鈴木先生の指圧法は、
①修練次第で、必ず先生のように圧せるようになる。
練習方法が確立されている指圧なので、毎日真剣に、指導に沿って練習すれば必ず圧せるようになる。
②先生のように圧せるようになれば、施術するのに力はいらない。
体重が軽くて非力な人間でも、効果のある指圧ができる。技術レベルが上がるほど、施術者は力を必要としない。
③先生のように圧せるようになれば、施術者自身のからだも整う。
普段の生活では使わない多くの筋肉を柔軟にしないと圧せない指圧法なので、自然と施術者の体調も整っていく。完璧に修得すれば、バランスの良い圧し方なので疲れにくい。
④先生のように圧せるようになれば、一生仕事ができる。
余分な力を使わない圧し方なので疲れにくい。年をとって体力が無くなっても、支障なく施術ができる。ケガさえしなければ一生仕事ができる。

修得するのは本当に難しいのですが、このように修練し甲斐のある技術なのです。

私の指圧体験1(肌に透明感の巻)

私が指圧治療を受けてきて、「不思議だなあ」と感じた体験です。指圧を受けはじめて何年か経ち、からだが大分楽になってから起きたことです。

指圧を受けると胃腸がグルグルと動いてくれます。排便もとてもスムーズになるので、腸に疾患のある私としては本当にありがたいのです。
師匠の指圧を受けた次の日の朝、スムーズに便が出せました。「楽に出た。」と喜んでいたところ、それに続いてレモンイエローのきれいな色の液体がいっぱい出たのです。透明で水分の多い寒天みたいな。「ピロピロしたものがいっぱい出た。なんだろう。」

その何だか変なものが出た後、これは赤ちゃんの肌?というような、透き通るような肌になったのです。ちょっとびっくりするくらいの「透明感のある肌」になったのです。

しかし残念ながら、透き通るほどだったのは半日くらいでした。たぶんからだに溜めていた老廃物(毒素)がピロピロしたもので、それが出きったので肌があんなにきれいになったと思うのです。でもまた日々老廃物が溜まっていくようです。

この体験は他日もう一度ありました。現在は透き通るとまではいきませんが、肌トラブルもなくとても調子が良いです。肌は体調を映す鏡だと実感した体験でした。

私の指圧体験2(ソンバーユの巻)

指圧体験1と同じく、体調がだいぶ良くなってから起きたことです。
私はソンバーユという液状の馬油を気に入っていました。顔を洗ってこれを塗るだけ。シンプルで楽だし肌荒れもないので、何年も使っていたのです。

師匠の指圧を受けた次の日の朝、いつものようにソンバーユを顔につけたところ、なんだかものすごく獣臭いのです。顔にとてもつけていられず、すぐに洗い流してしまいました。きのうまでは全く無臭と感じていたものなのに。

しかし不思議というよりは、「においに敏感になったのかな。またからだが良くなったな。」と嬉しく感じました。それまでにもいろいろなからだの変化を体験していたので、これもそうだなと。そしてこの日を境に、やはり大きく体調が良くなりました。
ソンバーユもからだに負担の無い成分で好きだったのですが。今は植物性のものを使っています。

臭いに敏感になっていくのも、なかなか面白い体験です。嗅覚がノーというものは避ける。これも健康法だと思います。排気ガスの臭いなど、以前よりも数倍嫌だなあと感じます。逆に良い香り(草木や花の自然の香りは良いですね。)にも敏感になるので、こちらは生活の楽しみになっています。

私の指圧体験3(大腸の機能障害の巻)

私は20歳くらいから急にお腹の調子が悪くなり、毎日のお手洗いに時間がかかるし、出ないし、ガスで苦しいし、生活の質が低下していました。ただの便秘とは違うけれど、治療するような病気とも思っていなかったので、わずらわしいけれどそのまま過ごしていました。

15年くらい我慢してからやっと病院を受診し、大腸の機能障害と言われました。排便時にいきむ時、一部の腸に連続する腸がすっぽりと入り込むのです。一時的な腸重積です。いきんでも便が出にくく、ガスも発生しやすくなります。なるほどそうだったのかと納得です。生まれつき腸が弱いところに、社会人になった頃のストレスが加わって発症したようです。手術も打診されました。

できればからだにメスを入れたくなかったので(健康な筋肉も切るわけだし)、指圧の師匠に相談したところ、腸の機能の弱さを指圧で改善できるとのことでした。この頃から、なんとか定期的に指圧を受けられるようになり、次第に体調が良くなっていきました。
今は、病気になる前の状態に近いところまで改善しています。排便関係の疾患は生活の質を大きく左右するということが、身にしみて分かりました。

具合の悪かった頃の生活を振り返って、大いに反省もしています。からだを温めず冷やしていた。食べ方も悪かった。もっと気をつけていれば、あんなに悪くして苦しまなくても良かったのに。
とはいえ、悪くしていなければ改められなかったかもしれません。良い勉強になりました。

私の指圧体験4(じんましんの巻)

私は中学生の時から、慢性じんましんの症状が出るようになりました。疲れると(夜、週末、季節の変わり目など)皮膚に赤いみみずばれが出ます。かゆさというのは結構つらいもので、夜眠れないこともしばしばでした。
20年近くあちこちの皮膚科を漂流して、いろいろな種類の薬を飲み続けていました。治す薬ではなく、症状を抑えるだけのものとは分かっていたのですが。

30代前半から、不定期でしたが師匠に指圧治療をしてもらえるようになり、じんましんの出る頻度が減っていきました。安心して病院通いをやめることができました。

治療後半(大分じんましんの出る頻度が減った頃)、週末になるとよく熱が出た時期があります。その熱が下がると一皮むける感じで、また更に体調が良くなるのです。これが2ヶ月近く続いたように記憶しています。

指圧治療前は、毎週末かそれ以上の頻度でじんましんが出ていました。熱が出るようになった後は、よほど疲れたときだけ、じんましんが出るようになりました。そして現在は、疲れたなと感じる様なときにも、じんましんが出ることはありません。

私の指圧体験5(脳機能の改善の巻)

指圧を定期的に受け、徐々に身体が整うとともに、脳機能や心の変化も感じてきました。
脳機能が使えるようになったと感じられる出来事のひとつに、服を選べるようになったということがあります。私にとっては生活する上でとてもありがたい変化でした。

服を選ぶのがずっと苦手でした。どれとどれを組み合わせると良いのか、あるいは変なのか、上手く判断ができないのです。
母や姉に会うと必ず「変な服着てる」「何か変じゃない」と服のことを言われるので、ほんとうに嫌でした。

しかし指圧を受けるようになって、身体や心や脳機能が変化するうちに、いつの間にか「これとこれを合わせたらおかしい」ということが急に、自然と、分かるようになりました。
気に入らない格好というか、おかしな格好で外出しないで済むというのは本当に嬉しい変化でしたし、こんなことも変化するんだなあと不思議でした。

私の指圧体験6(心身一如の巻)

健康になってみてはじめて分かったことは、「私は子供の頃からずっと不調だった。」ということでした。三十路から師匠の指圧を受けるようになって、大腸疾患が改善し、じんましんが治り、生理が毎月くるようになりました。O脚や外反母趾が治り、風邪を引かなくなりました。髪質が良くなり、肌状態も良好です。頭痛肩こり腰痛もないし、よく眠れます。傷も昔より早く治ります。他にも(忘れてしまうほど)いろいろなことが改善しています。

このようなからだの変化はもちろん嬉しいのですが、それに伴うこころの変化もありがたいのです。子供の頃から気力が出ず、すべきことにもなかなかからだが動いてくれませんでした。億劫という思いと、やらなければという思いに引き裂かれて生活をしてきました。

からだ全体の血流が悪くて、頭も働かず、からだも動かなかった。これも健康になってみて初めて分かったことです。 集中力がなく、記憶力も弱い。気力もなくて、物事も楽しめない。このようなことが、まさか血流を改善することで良くなっていくとは。
心身一如とはよく言ったものだと思います。

注:「私の指圧体験1~6」は、わたくしが化学物質過敏症になる前の話です。やっと健康になったのに、、。香りブームは(私の過敏症発症の原因です)恐ろしいです。

私の指圧体験7(化学物質過敏症の巻)

2016年春、化学物質過敏症を発症しました。原因は、高残香の洗濯洗剤、柔軟剤の成分でした。自身は石けん生活ですし、「生涯で一番の健康体」と感じていた時なので、悔しかったです。

しかし、症状が落ちつき冷静になった今は、発症は仕方ないと感じます。
高残香の洗濯洗剤、柔軟剤は、イソシアネート等の強い毒性成分で作られています。2012年頃からの香りブームと時を同じくして、様々な疾患(化学物質過敏症、アトピー、呼吸器疾患、発達障害、認知症)が増えています。

柔軟剤は嫌な臭いと感じていました。「良くない成分」と私の感覚が警告してくれたのに無視してしまった(仕事上吸う環境だったので仕方ないのですが)ことが敗因です。

現在の回復具合を考えれば、取り返しのつかない状態にならない早い段階で、発症してくれたと感じます。お仕事で成分を吸っていればいつかは発症していたはず。軽めのうちにからだが音を上げてくれたおかげで、早い回復につながっています。発症前から鈴木林三先生の指圧に出会えていたことで救われました。

病気を発症して分かったことは、わたしは体質的に化学物質に弱く、そのせいで子供の頃から変だった、ということです。昔のいろいろな出来事が、身近にある家庭用品の成分を吸っていたせいだと腑に落ちました。

私が指圧師として患者さんを施術する時、指圧治療後半に患者さんの体からニオイやチクチクするもの(毒素)が出てくるのが分かるようになりました。
私自身が治療を受ける時も、指圧後に身体が毒素を排出している間は(一時的に)気分が悪くなるのですが、その後楽になります。その治療を積み重ねることで、発症後一年で本当に楽になりました。

私の発症を機に、石けん生活に変えてくださった患者さんには、本当に感謝しております。「からだに良いものだから、かえって良かったよ。」と通い続けてくださったことが、「石けん生活の方限定の治療院」として再出発する力になりました。

門戸の狭い特殊治療院ではありますが、そうなって良かったと思える日が来るような気がします。化学物質が苦手な方のお役に立てればうれしいです。

 石けん生活の方限定で治療をする理由は?

現在当院は、石けん生活の方においでいただいております。(洗濯はアルカリ剤もOKです。)
残念ながら、合成洗浄剤や抗菌除菌剤、香料をお使いの方の治療は、現在お引き受けできなくなってしまいました。2016年に、私(院長)が軽度化学物質過敏症を発症したことが原因です。

合成化学物質は、残留しやすい性質があります。すすいでも、からだや衣服に成分が残ります。その残留したものが治療院に持ち込まれると、化学物質が苦手な人にはとてもつらいのです。「気分が悪くなる」「頭痛がする」「筋緊張する」「思考できなくなる」ということがあります。

残留成分には、人体や環境に有害と認定されている第1種指定化学物質などが含まれます。このような成分が、呼吸や皮膚から体内に取り込まれ、心身の調子を崩す原因となります。これは化学物質が苦手な人だけの話ではなく、全ての人の身体に影響を及ぼしていると知っていただきたいです。

特に「いつまでも香りが続く(高残香)」製品は、イソシアネート等の成分が非常に有害なうえ、残留度も高いです。香りが続くとは、化学物質(合成香料)を四六時中吸い込むことです。タバコの副流煙と同じく、周囲の人も吸ってしまいます。「香料公害」は問題になっており、「香料自粛」を呼びかける自治体や学校もあります。
また、抗菌除菌成分も問題です。例えば「細菌の細胞膜を破壊」する除菌成分は、人間の細胞膜も破壊してしまいます。

食の安全(添加物、農薬、化成肥料、遺伝子組換)に配慮するとともに、上記のような化学物質を吸わないようにすれば、からだが楽になります。心のイライラもなくなります。
全身指圧は、毒素の排出にも効果があります。全身の循環(血液、リンパ、神経)を回復して、自分が本来持っている治癒力を取り戻す治療法です。

合成洗剤や柔軟剤の成分に苦しむ人がいることをご存知ですか?「CS支援センター」

当院の治療環境

院長は25年以上石けん生活をしております。
指圧の部屋は、2004年の開院時からケミカルフリーです。
「洗濯、消毒、消臭、掃除」に、「石けん、セスキ炭酸ソーダ、炭酸塩、重曹、クエン酸」などを使っています。
築20年の鉄筋コンクリートの建物は、一階が治療院、上階が自宅です。建築家の夫の設計です。

畳にお布団のスタイルで治療をしています。敷布団は東洋紡のブレスエアー。ポリエステル素材で水洗いができます。ベットパッド、シーツ、掛け布団、毛布等は、当院で石けんまたはアルカリ洗濯をしています。
冷暖房はエアコンです。冬は布団乾燥機でお布団を温め、寝ていただいています。
ダイキンの除加湿空気清浄機のフィルターは、抗菌加工がしてあったため、活性炭シート(東海有機農産の超活性炭ニューパワーシート)に取替えました。
電磁波過敏症の患者さんには、照明や換気扇など、できるところは電気機器は切って対応しています。

当院の建物は築20年を経過しており、軽度シックハウスの方には来院いただいております。しかしこれまでにお一人、シックハウスから化学物質過敏症になりご自宅もつらいという方が、当院の環境も厳しいとのことでした。

気になることがあれば気軽にお問い合わせください。
国分寺駅から徒歩7分です。

東洋医学の国家資格について

東洋医学の国家資格としては、
①はり師
②きゅう師
③あん摩マッサージ指圧師
④柔道整復師
という4つの資格があります。
国の認定校で3年間学んで卒業資格を得られれば、国家試験を受験できます。合格して免許を取ることで、医療行為ができるようになります。

それぞれの資格でどのような医療行為がおこなえるのかというと、
①はり師は、その名のとおり「鍼」による医療行為が可能です。
②きゅう師も、その名のとおり「お灸」による医療行為が可能です。
③あん摩マッサージ指圧師は、「あん摩」「マッサージ」「指圧」だけではなく、「脊椎矯正術」「カイロプラクティック」などの手技療法全てが含まれます。
※注:昭和31年に長生学園が認定校になっているので、長生の教える「脊椎矯正術」は法律的に認められていると考えられます。
※注:「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法の解説 現代語版第2判」のP107によると、「指圧」という名称には手技療法全般が含まれていると解釈しています。
④柔道整復師は、骨折や脱臼をしたときの整復術です。レントゲンなど無い時代からの、柔術家の技術です。昔風に言えば「骨接ぎ」で、今風に言えば「接骨(院)」です。

はり師の国家資格を取得すれば、はりを生業とすることができます。①はり師の資格で②③④を生業とすることはできません。他の資格も同じです。持っている資格以外の医療行為をすることは、違法となります。
複数の国家資格を持っている治療者も多いです。

上記の4つの国家資格保有者のおこなうのは、「医業」です。
医業(医療行為)とは、医師法において医師のみに許されているものです。
しかし、上記の①~④の免許保有者が、免許の範囲内においておこなう特殊な医療行為は、例外として許されています。これは医師による医業独占の部分的解除であり、つまり①~④は「医業」です。
ちなみに免許のない無資格者の行為は、「医業類似行為」といって医業ではない違法行為です。

以前、カリスマ美容師の方が国家資格を持たずに仕事をしていたということで、問題になったことがあります。その後に、無事に免許を取得されてお仕事に復帰されたように記憶しています。同じように東洋医学界も、無免許者を取り締まって欲しいです。
私たち免許保有者は、厚生労働省が定めたカリキュラムに従って、認定校で3年間、解剖学や生物学や実技などを学びます。
このような国家資格の制度があり、免許を持つ治療者がいます。無免許者を取り締まらないのは、公共の福祉に反しています。無免許者による事故も多いようです。

医業類似行為とは

医業類似行為の定義は、昭和29年6月の仙台高裁の判決によると、
「医業類似行為とは、疾病の治療又は保健の目的でする行為であって、医師、歯科医師、あん摩師、はり師、きゅう師、又は柔道整復師等の、法令で正式にその資格を認められた者がその業務としてする行為でないもの」
ややこしい文言ですが、医業の国家資格を持たないものがする医療行為が医業類似行為ということです。つまり無資格者の施術のこと。
医業類似行為の定義については、これまで行政が上記とは違う法解釈をしている場合がありますが、日本は法治国家なので、司法の判断が正しい解釈となります。

※指圧は、昭和30年の一部法改正のときに、手技療法全般が「指圧」の名の下にまとめられて、法案に追加してもらうことが叶い、「あん摩(マッサージ、指圧を含む)」となりました。指圧は医業です。

無資格者を取り締まらないのはなぜ?

指圧は、専門学校で3年勉強したのちに国家試験を受けなければならない医療行為です。しかしなぜ無資格の人が同じような仕事をしているのでしょうか。
故鈴木林三先生は、下記のようなお話を良く聞かせてくださいました。参考文献を調べながらまとめてみました。

《原因その1》
江戸の頃より、鍼灸あんまは視覚障害者を対象に、幕府の養成制度が確立されていました。
明治からは、あん摩、はり、きゅう、柔道整復は免許制になりました。
大正9年に、マッサージは免許制になりました。
昭和5年の警察庁令によって、その他の民間療法(指圧など)も、所轄警察署に届出して認定されれば(届出制)、営業が出来るようになりました。

戦後GHQ(占領軍)は、医師以外の医業(あん摩、マッサージ、はり、きゅう、柔道整復、その他の民間療法)を全て禁止したかったのですが、視覚障害者や柔術家の職業が奪われるので、反対運動が起こりました。
これに対して厚生省は、あん摩、はり、きゅう、柔道整復を「医業」として扱うこととし、それ以外を医業類似行為(無資格)として、禁止を打ち出しました。このときマッサージは、「あん摩(マッサージ含む)」という扱いになりました。

その後、「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」が制定されました。(現在は「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律」)(通称あはき法)
「あん摩(マッサージ含む)、はり、きゅう、柔道整復」は国家試験による免許制となり、認定校での規定のカリキュラムの履修が必要となりました。

届出制の営業鑑札をもらっていた医業類似行為者(無資格者)には、救済策が打ち出されます。一定の要件を満たした者は、廃業までに8年間猶予を与えるというものです。また昭和30年には更なる救済策として、希望者は簡単な試験を受ければ「あん摩師」の免許をもらえました。

しかし、この救済策を良しとしない者も多数出たのです。
理由のひとつは、自分の志す手技の名称(指圧、カイロプラクティック、整体など)が名乗れないこと。もうひとつは、当時あん摩は視覚障害者の職業というイメージがあり、それを嫌ったということ。

昭和30年の一部法改正のときに、手技療法全般が「指圧」の名の下にまとめられて、法案に追加してもらうことが叶い、「あん摩(マッサージ、指圧を含む)」となりました。法案の条文には、「国民の健康上弊害のないものは業務を継続できるよう・・・」という付帯決議が加えられました。

カイロプラクティックや整体などは手技療法なのですから、法的には「指圧」の中に含まれているのです。
しかし、「あん摩師(マッサージ、指圧を含む)」という免許をもらうことを良しとしない者もいて、医業類似行為者(無資格者)のままで営業することになりました。
このことが、後に医業類似行為者(無資格者)を増やす一因となっています。

《原因その2》
原因その1に書きましたように、昭和22年の法制定時、視覚障害者の多くが職業としてきた「あん摩師」へと、医業類似行為者が多数流入しました。
視覚障害者への配慮として、昭和39年にあはき法第19条が設けられました。この条文は晴眼あん摩師を抑制するもので、あん摩マッサージ指圧師を養成する認定校は新設できない、と解釈されています。

昭和30年の一部法改正のときに、指圧(手技療法全般)は法案に加えられました。
また、2校が厚生大臣の認定校になりました。日本指圧学院(現在の日本指圧専門学校)と脊椎矯正術の長生学園です。

しかし昭和39年に19条ができたことで、上記の2校以降は、手技関係の学校は認定が一切受けられなくなりました。例えばカイロの認定校は無いので、他の認定校で「あん摩マッサージ指圧師」免許を取らないと、カイロの治療院を開業することはできません。
このことも医業類似行為者(無資格者)を増やす一因となっています。

《原因その3》
昭和35年の最高裁の判決も原因といわれています。

常磐炭鉱の元鉱夫が、HS式高周波治療器を使い施術をしました。
この男は医業類似行為者(無資格者)でした。4日間で3人に治療を行い、健康被害は出ませんでした。
「医業類似行為の禁止」(現あはき法第12条)違反で検挙されました。

一審、二審ともに現あはき法第12条違反で有罪になりました。
男は、「あはき法第12条は、職業選択の自由に反するので憲法違反だ。」として上告しました。
昭和35年の最高裁も有罪になりました。人に害を与えるおそれのある行為だから免許制にしているのであって、これを無免許者が行うことは公共の福祉に反する、という内容でした。

しかし新聞やマスコミが判決文を読み違えて、これを無罪と報道したのです。
新聞の見出しを見ると「無害なら罪にならぬ(朝日)」「有害な場合だけ制限、あんま・はり等の医業類似行為(毎日)」となっていて、無罪と誤報道しただけでなく、あんま・はりを医業類似行為と誤報道したのです。
この報道がきっかけとなり、「健康に害を与えなければ、無免許の法律違反でも処罰はされない。」という通説が生まれてしまったのです。

《原因その4》
「足裏マッサージ」という名称で、講座の開講、民間資格の授与、マッサージ店経営等をしていた企業が、厚生省に第12条違反として注意を受けました。
このときの決着は、厚生省が医業類似行為を黙認してしまうものでした。国家資格名でもあるマッサージという文言を止めて、「足裏マッサージ」から「リフレクソロジー」という名称に変更させただけで、お咎めなしでした。

まとめ
まとめその1:「はり師」「きゅう師」「あん摩マッサージ指圧師」「柔道整復師」は「医業」であること。司法判断なので間違いないです。
まとめその2:「医業類似行為者」とは国家資格をもたない施術者のこと。司法判断です。
まとめその3:保有する免許以外の治療をしてはいけないこと。司法判断です。
まとめその4:「あん摩マッサージ指圧師」の免許で、どんな治療が可能かというと、「あん摩」「マッサージ」及び「手技療法全般」です。
「指圧」という言葉には、「浪越式指圧療法」だけでなく、戦時中「脊椎指圧療法」と称していたカイロプラクティックや、その他の手技全般が含まれているということです。芦野純夫さんによると、理教連二十年史にそのように明記してあるとのことなのですが、司法判断などはないようです。

どちらにしても、国家資格を持っていなければカイロも整体も違法です。
反対に、国の認定した専門学校で3年間学び、国家試験を受けて、「はり師」「きゅう師」「あん摩マッサージ指圧師」「柔道整復師」の資格を持てれば、それぞれの資格の範囲内で、自分の志す仕事ができるということです。

参考文献
●「医業類似行為」とは何だったのか ~カイロ問題を正しく理解してゆくために~
国立リハビリテーションセンター 芦野純夫 理療の化学第20号第1号

●浪越徳治郎 指圧一代
監修 浪越学園・日本指圧専門学校

●北極星インタビュー「施術者の立場の規定は法律のみ」
前厚生労働教官 芦野純夫 鍼灸柔整新聞2014年5月25日第977号より転載

●あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法の解説 現代語版 第2判
芦野純夫監修 ㈱日本医療福祉新聞社

●無資格者によるあん摩マッサージ指圧業等の防止について
厚生労働省医政局医事課(通知の日付なし)

●医業類似行為に対する取扱いについて
各都道府県衛生担当部(局)長あて厚生省健康政策局医事課長通知
平成三年六月二十八日 医事第五八号